桜夜が外に出ると、土砂降りの雨が降っていた。空には暗雲がたれこみ、雷がいくつも落ちていった。とにかく宗主様のところにいかねば、と桜夜が走り出そうとすると、今度は世界が壊れんばかりの地震が起きた。桜夜は立っていることができず、思わずしゃがみこんでしまう。しかしいくら待っても地震が収まらないため、彼は意を決して揺れる世界の中、宗主の執務室がある建物を目指して走った。
◆◆◆
宗主の執務室
大地震によって灯篭などが倒れ、散らかった部屋の中央に宗主である四方院玄武は座っていた。扉を開いた桜夜は玄武に声をかける。
「宗主様!」
「……桜夜か」
「いったい何が起こっているんですか?」
「うむ……」
重たくうなずいた玄武は、1つの巻物を桜夜に向けて広げた。
「これは四方院家初代の『予言』が書いておる。読んでやろう。『秩序を司る者打ち倒されし時、偽りの神怒り、天地を破壊し尽くさん』。桜夜、お前さんは秩序を司る者コスモスを討伐した。恐らく今起こっているのは、『神の裁き』じゃ」
「神の裁き……」
部屋に重い空気が漂った。その空気を壊すように、2人とは別の声が発せられた。
「偽神デミウルゴスは蘇った。今こそ神殺しの時だ」
空間をゆがませて姿を現したのはサタンだった。この世の物とは思えない純白の衣と威厳のある声、それは魔王というより大天使を彷彿とさせた。
「サタン……」
「契約を果たしてもらうぞ、桜夜。どの道このままでは地球はおしまいだ」
「……わかった。いこう、サタン」
桜夜はそう決意し、玄武を見た。玄武も許可を出すように重々しくうなずいた。それを受けて桜夜は自分より長身のサタンに向き直り、その顔を見上げる。
「では……」
「待って!」
その時宗主執務室の扉が乱暴に開かれ、サイカ、ホムラ、リオが駆け込んできた。
「わたしたちも連れてって!」
「そうだ! 桜夜のバカはオレが守るって決めてんだ!」
「わたくしたちは桜夜様の親衛隊です! どこまでもついていき
「神聖なる炎」 天空から凛とした声が響く。すると虚空から神々しい炎が現れ、泥人形たる男たちを焼き尽くしていく。その光景に茫然とするリンに対して、鷹司は口元をゆがめて言った。「遅いぞ、小僧」 その言葉にこたえるように鳳凰を自分の中に戻した桜夜は、リオに認識疎外を解かせて彼女とホムラを伴って地に降り立った。鷹司たちを守るようにその前に立った桜夜はからかうように言う。「先代こそ、勝手にローマの休日ごっこしないでくださいよ」 桜夜とホムラが周囲の警戒を行っている間に、リオは両ひざをついて鷹司の傷を見る。「助かる?」 リンがリオにすがるように尋ねる。「大丈夫ですよ。鷹司様は強い方ですから」 リオは傷口を確かめ、銃弾が貫通していることを確認する。(これなら傷口をふさいでしまえば輸血するだけで大丈夫でしょう) リオは水の魔力を持つ者が得意とする治癒魔法で鷹司の傷を塞いでいく。その間も泥人形の男たちの増援はあったが、桜夜とホムラがせき止め、切り捨てていった。神殺しと炎の剣は、どちらも泥人形の弱点を突くことに成功していた。しかしキリがないことにホムラは若干いら立つ。「たくっ、どんだけいるんだよ!」「あはは、これは逃げた方が良さそうだ。ホムラ、デカいのを頼むよ」「おっしゃ!」 ホムラは丹田から炎の魔力を引き出し、ホノカグツチに吸収させていく。そして一線。炎の津波が泥人形たちを飲み込んでいった。津波が収まったあと、路地裏には誰もいなくなっていた。◆◆◆ローマ市内 病院 そこで鷹司が輸血を受けている間に、桜夜はリンからmicroSDカードを受け取っていた。その中身をスマホで確認した途端、桜夜は勢いよくスマホを操作し、そのデータを四方院家やイグドラシルと対立する勢力に送った。それは抗ウイルス薬のデータだったからだ。「リンちゃん。このデータの原本は?」 リンは首を左右に振る。「もう存在しない。それが原本」「そうか……」 桜夜は考え込む。(抗ウイルス薬のデータが広まった以上、イグドラシルはすぐに作戦を実行できない可能性が高い。いや、それも希望的観測だ。確実にイグドラシルの勢力を削いでいくには……)「リン……いえ、イグドラシルの姫。イグドラシルの主になる覚悟がおありですか」to be continued
鷹司が誘拐した(正確には家出を幇助し匿った)少女の名はリン・イグドラシル。現イグドラシル家の当主の1人娘で、ウイルスによる大粛清に反対していた人物だった。また作戦実行において重要となる鍵を持っているという。さらに鷹司が計画的に誘拐した訳でもない故、こうして連携に齟齬が出ているようだった。そんな中、目をつむって椅子に腰かけているだけに見える桜夜が目を開いた。「見つけた」 ついに鷹司とリンの存在を見つけた桜夜は立ち上がる。「リオ! 認識疎外の魔法を。鳳凰で突っ込む!」「はい!」◆◆◆ ローマ市街の路地裏で鷹司は肩を押さえて蹲る。それをかばうのはまだ幼い少女だった。「退いてください。お嬢様」 男は平たんな声でそう言うが、少女は決意を宿した目で動かなかった。「仕方ありませんね」 男は肉弾戦で鷹司を黙らせようと動く。鷹司もまた残る腕で対抗する。かつて桜夜と引き分けた実力は老いとケガで衰えることもなく。やすやすと迫って来た男の顔面を殴り飛ばす。「!?」 だがその腕は男の顔面を貫通しただけだった。殴った感触はまるで泥のようだ。その驚きに鷹司は一瞬だけ隙を生んでしまった。その隙を逃さず、男は銃弾を鷹司にありったけ打ち込んだ。「ぐはっ」「おじさま!」 口から、体中から血を流しながら、鷹司は片膝をつく。それでも意識を保っていたのはさすがの一言だった。だが男の仲間も追いつき、絶体絶命の危機に瀕しているのは変わらなかった。血がつくのもかまわず、リンは鷹司に抱き着いた。鷹司は少女の背中に手を回し、つぶやく。「大丈夫だ。あとはあいつが……」 薄れゆく意識の中、鷹司は男たちの前に立ちふさがる誰かを夢想した。to be continued
「いやあ、やっぱりヴェネツィアはいいねえ」「そうか? オレは水がいっぱいで苦手だ」 嫌そうな顔をするホムラに対して、リオは笑顔だった。「ホムラちゃんはそうかもしれませんね。わたくしは水の精霊が元気で過ごしやすいです」 桜夜もリオも、作戦行動中とは思えないほどリラックスしていた。「さて、あずさにはああ言ったが、僕は顔が売れすぎているからしばらくは待機なんだよねえ。みんなからの連絡待ち。どっか遊びにいく?」 桜夜はこんなときでも桜夜だった。そんな桜夜のやる気のない態度を見たホムラとリオは顔を見合わせたあと、ホムラは彼ににやりとした笑顔を、リオは上品に微笑みながら、桜夜をベッドに追い込み始めた。「どうしたのかな? 2人とも」「せっかくガキどもがいないんだ。大人の遊びをしようぜ」「ふふ、そういうことです」 ヴェネツィアまで来てすることかねと思いながらも、桜夜は2人の誘いを断らないのだった。◆◆◆「ん……」 上半身裸で寝ていた桜夜はスマホの着信音で目を覚ました。自分の左右で寝ているホムラとリオを起こさないようにベッドから立ち上がり、寝室を出ながら電話に出た。「はい、水希……」『た、たいへんです! 水希卿!』「どうした。落ち着いて状況を報告しろ」『せ、先代相談役が……』「先代がどうした?」『イグドラシル家の娘を誘拐しました!』「はあ!? こんなときにあのじいさん何を……。まあいい先代はこちらでも探す。追加の情報が判明したら伝えろ」『は、はいっ』 はあ、と桜夜はため息を吐く。誘拐したと言っても、まだローマは出ていないだろうと、鳳凰をいくつもの小鳥の姿に変えて窓から放った。小鳥たちは一直線にローマを目指して飛んでいく。◆◆◆「おじさま、本当に大丈夫なんですか」「任せておけっ
夢から覚めた桜夜は早速動き始めた。刀を握って殴り込みに行く争いの仕方はもう古い、そう桜夜は考えている。力づくでイグドラシルを全滅させようとしても水面下に潜られる危険があるし、暗殺合戦にもなりかねない。当面必要なのは、イグドラシルが持つ抗ウイルス薬のデータの奪取か、その開発の妨害だった。そのためにイグドラシルにスパイを紛れ込ませているし、そして……。「頼むよ。鷹司君」「任せてください」 鷹司の名で呼ばれたのはもちろん先代相談役である鷹司公のことではない。彼の孫にあたる青年、鷹司勝(すぐる)のことだった。身体が弱く相談役候補からは外されていたが、その天才的頭脳に目をつけた桜夜がハッカーとして起用しているのだ。そのハッキング技術で抗ウイルス薬やウイルスのデータや情報の入手を、桜夜から指示されていた。「さって、僕は僕の仕事に向かいますかね」◆◆◆「ヴェネツィア!?」 桜夜の私邸で、あずさの声が響いた。「ああ、次のミッションではヴェネツィアを拠点にイグドラシル本部がある拠点ローマを探る」 イグドラシルは挑発的にも、対立するカトリック教会の総本山があるローマに本部をかまえているとされる。もちろん正確な場所はわからない。近づきすぎては危険だと判断し、同じイタリアで彼の別荘があるヴェネツィアを選んだが、それでもリスクのある作戦だ。それを知らないあずさは無邪気に手を挙げる。「あたしも行きたい!」 桜夜は困ったように笑うと、おどけて言った。しかしその目は真剣そのものだった。「リトルプリンセス。遊びではないんだよ」「む。わんこのくせに変なこと言ってごまかす気だな」 桜夜はますます困った顔になる。「今回は観光や式典への出席じゃないんだ。いのちに関わる仕事なんだよ」「なんでわんこがそんな危険な仕事を」「そりゃあ、先代と宗主に文句を言ってもらわないと。彼らが任命したんだから」 あとはリチャードか、なんて友人の顔を桜夜は思い出す。そこできひひと笑った
ある夜、桜夜は夢を見ていた。真っ暗な道を1人歩く夢を。道を歩いているとやがて1人の男に出会った。自分とよく似た顔立ちをした男。岩に座っている男は顔をこちらに向けて手を上げた。桜夜はその名前をつぶやく。「……アルファ卿」 男、一番最初の神殺しと呼ばれたアルファはにやりと笑った。彼の服装は騎士というよりは旅人とといった風情で、フード付きのマントを着用していた。「まあ座れ、水希桜夜。我が弟よ」 アルファが彼の前を示すと、そこに座るのに丁度いい岩が現れた。だが桜夜は、岩の出現よりも、アルファの言葉に驚いた。これまではサタン同様、模造品と呼んでいたのが急に弟に変われば当然だ。「突然どうしました、弟だなんて」 桜夜は勧められるままに岩に腰かける。アルファがパチリと指を鳴らすと、桜夜の格好もアルファと同じものになった。「お前は僕の魂をモデルに造られた。それは弟も同然だ。まあ弟子筋でいけばお前はボクの孫弟子になるわけだが」「孫弟子、ですか?」 よく驚かされる夢だ。だが先生は確かに懐かしむように言っていた。神隠しにあい、そこで偉大な師と出会ったと。それがこのアルファなのだろうか。「それは明人先生が神隠しにあった話ですか」 「うむ、あいつは伸びしろがあったからな、少しだけ手ほどきをした。さて……」 アルファは仕切り直しとばかりに言葉を切った。「このままお前の大好きな師匠の話を続けてもいいが、今日は別件だ。お前、イグドラシルを敵に回すことになりそうだって話をしに来た。イグドラシルは旧約の時代から続くデミウルゴスの使徒。歴史の裏で暗躍し続けた組織だ。その目的は……」「人類の選別。新たなるノアの大洪水を起こし、イグドラシルに、デミウルゴスに従う人間だけを残すこと」 そこでアルファがにやっと笑う。桜夜も裏世界にかかわるものとして、秘密結社イグドラシルの存在は知っていた。イグドラシルは世界の三分の一を支配し、カトリック教会と長年対立してきた組織だ。その目的達成の手段は、ウイルス兵器だ。抗ウイルス薬を“選
朝6時、あずさは遠くから聞こえる桜夜の声で目を覚ました。起き上がって寝ぼけまなこをこすり、あたりを見回すが桜夜の姿はなかった。ふわあとあくびを嚙み殺しながら、あずさは桜夜の声のする方へ向かった。◆◆◆ 声は縁側から見える庭から聞こえていた。どうやら桜夜がホムラに剣の修行をつけているようだ。(そういえば桜夜の育ての親って剣術やっていたもんね) 2人が気づかないのをいいことに、あずさは2人の様子を覗き見る。「ほらほら、脇が甘い。そんなんじゃ自分の身も守れないぞ。親衛隊長」「うっせえ! って親衛隊長!?」「ほらっ油断しない」 ぽこっと竹刀でホムラの頭を叩く。「ってえ。それより親衛隊長ってなんだよ」「親衛隊なんだから隊長がいないと恰好がつかないでしょ。親衛隊の中で一番戦闘に向いているから、ホムラちゃんを隊長に指名したんだ」 桜夜がいたずらっぽく笑うと、ホムラもうれしそうに笑う。「うおお、ついに隊長か! よし桜夜! もう1本!」「ホムラちゃん、もう朝ごはんできてるからだめだよ」 そこにサイカが顔を出した。そしてあずさの存在にも気づくのだった。「あっ、あずさちゃんおはよう。朝ごはんできてるよ」 桜夜とホムラもあずさの方を向く。「おはよう、あずさ。ほら、ホムラちゃん朝の挨拶は?」「ふん」 ホムラが不貞腐れたようにそっぽを向くのを見て、桜夜はわざとらしく言った。「あーあ、あいさつもできないんじゃ隊長の件はなしかな」「あーもー! うるっさいな。お、は、よ、う! これでいいんだろ!」「はい、よくできました」 長年一緒にいたことがわかる桜夜たちのやりとりにぼんやりしていたあずさは、声をかけられて慌てて「おは、ようございます」とだけ述べた。そのまま全員でリビングに移動すると、青いスーツ姿で待機していたリオが桜夜に近づいてくる。「桜夜様、おはようござい